「イニシェリン島の精霊」観ました

先日、「イニシェリン島の精霊」という映画を観てきました。
最初は風光明媚なシーンに目を惹かれたのですが、その内容に見て、益々興味が湧きました。

イニシェリン島の精霊
イニシェリン島の精霊

本土が内戦に揺れる1923年、アイルランドの孤島、イニシェリン島。島民全員が顔見知りのこの平和な小さい島で、気のいい男パードリックは長年友情を育んできたはずだった友人コルムに突然の絶縁を告げられる。急な出来事に動揺を隠せないパードリックだったが、理由はわからない。賢明な妹シボーンや風変わりな隣人ドミニクの力も借りて事態を好転させようとするが、ついにコルムから「これ以上自分に関わると自分の指を切り落とす」と恐ろしい宣言をされる。美しい海と空に囲まれた穏やかなこの島に、死を知らせると言い伝えられる“精霊”が降り立つ。その先には誰もが想像しえなかった衝撃的な結末が待っていた…。

https://www.searchlightpictures.jp/movies/bansheesofinisherin

と、サイトに紹介されていますが、本当にストーリーは「男同士の仲違いをみる」だけのものです。
しかし、そこには色んなメッセージが内包されていて、見れば見るほど解釈の受け取り方を考えさせられます。

最初は主人公のバードリック的な目線で「なんで?なんでなん?」と思いながら観てしまいますが、トレーラー中に出てくるようにコルムは「(バードリックはコルムに対して)何もしてない。ただ嫌いになった」と言い、また距離を持ちながらも少しずつコルムなりの気持ちを吐露していきます。

一言で言うならば、それ(絶縁)は「コルムの中で価値観が変わった」という表現が近しいように感じました。
少し年配のコルムが今までを振り返り、そして残りの人生を考えたとき「このままでいいのかな?」と思い立ったようにも思います。
おそらくコルムは外の世界(島以外)を知っていそうだし、明らかに島を出たことのない人達とは違う感性を持っているようでした。
外の世界を知らない島民たちは、いい意味では親しいけれども、悪い意味では過干渉気味なところもあり、そして自分たちの世界が全てで正義だとするところがあります。
しかし、バードリックは少し若いせいか古く年老いた島民とは違っていたので、コルムはそういった島の閉塞感を「年の離れた、人のいいバードリック」でいい意味でも悪い意味でも紛らわしていたのかも知れません。

コルムは度々、知的で好奇心溢れるバードリックの妹に「島の風土や島民に対する批判的な想い」に同意を求める場面がありますが、それがコルムの本質的な想いの根源で、実のところはバードリックを嫌いになったというよりは、島の風土や島民からなる閉塞感への八つ当たりのような気がしました。
さらに自分の老い、想い、環境から逸脱できない苛立ちも若きバードリックと理解しあえない悩みとして抱えているのかも知れません。
外の世界を知らない無垢なバードリックが好きだったのに、このままでいてはバードリックもまた皆と同じ人間になってしまうというもどかしさを感じていたのではないでしょうか?

実際のところ、コルムはバードリックを嫌ったようでいて、案外と気にかけているような節々があったり、きちんと話すべきことは話しています。
ただ、それだけにバードリックはやや翻弄され、嫌われている事実が受け入れられないでいるので問題は大きく発展していくのですが。

コルムは明快に「価値観や考え方が変わり、生き方を見直したい。今までの関係を一新して、新しい刺激や新しい友が欲しい」と相手に伝え、バードリックもまたそれを快く受け入れるくらいの「いい人」であれば、この映画は成立しませんでした。
ましてや、互いにそれだけのことを言い合える人間関係も出来ていれば、とことんまで話し合うこともできたでしょう。
そこも実のところ、映画の中では2人はそこまで信頼関係が築つけていなかったのかなぁという感じにも見受けられました。

それはこんな場面です。
2人が激しく言い合う場面で、凡庸なバードリックが愚直に哲学的なことをコルムに問いただします。
バードリックより教養のあるはずのコルムはそれに応えきれないのですが、その後コルムはそのやり取りがバードリックとの会話の中で一番面白かったものだと他人に話しているのでした。

ここに2人の小さな亀裂が見えました。
コルムは他愛のない話は人生の無駄な時間だと感じるようになっていました。それはバードリックのせいでもなんでもなく、ただただコルムの人生観としての話です。
自分にはやりたいことがあった、今からできるかも知れない。今からの人生は有意義にしたい。無駄な時間を過ごしたくないと思うようになったのです。

しかし、バードリックは他愛のない日々の暮らしをコルムと話すことが楽しいと感じていました。それは無駄話ではないと。コルムにとって無駄な時間でも、バードリックとっては有意義な時間だと主張します。

でも、それはただ自分たちの価値観の押し付け合いなんですよね。
変わってしまった価値観は認め合うことでしか埋める術はないのです。それぞれがそれぞれの価値観を主張しあうと話は平行線になってしまうのと、何より相互理解を努めようという意思がそれぞれに見受けられないことが亀裂となっていくのです。

そんな流れから汲み取るに今までは2人は酒を飲みながら他愛のないことしか話していなかったようですが、おそらくこの時にバードリックの本音というか、本質的部分を垣間見たのでしょう。
コルムは世間話だけではなく、たまには誰かと一人の人間として心に触れる会話をしたかったのかも知れません。

そして映画はどんどん悪い方向へ流れていきます。
ただ、随所に出てくる動物たちと美しい景色や美しい音楽に加え、突拍子もない展開となっていくので、そこはあんまり現実臭くならず、むしろ寓話的な作品になっていました。
まるでイソップ寓話の「鷲と狐」のまんまです。そう、寓話(風刺的に人間のモラルを説い教訓めいた内容を他の事で表した喩え話)なんです。

しかし擬人化でなく、人間そのままで描写しているので実に愛憎相半ばする様が描かれています。
題材が題材だけに、リアルに描くと生々しすぎるし、そのリアルが伝えたいのではなく現代のイソップとして「良くも悪くも人間味」を伝えたかった作品なのかなぁと思いました。

絶え間ない国と国との戦争、さらには同じ民族同士でも起こる紛争、いろんなことが起きている広い世界の中で自分の身の回りのコミュニティの中だけしか見ない視野、世の中の流れや環境によって自他ともにふと訪れる価値観の変化、自己の押し付け、自分は悪くないというエゴイズム、築き上げてきた関係をいとも簡単に整理してしまう希薄さ、嫌われることに対して敏感で異様なほどに固執する臆病さ。
国単位でも個人単位でも、リアルでもネットでも、何にでも置き換えられる描写が危うい現代社会や人間性や人間関係を問うているような・・・そんな作品にも見えました。

個人的には途中から展開が、それはもうサイコパスで、案外下手なホラーを見るよりゾッとして「いや、ほんま人間ってこういう狂気持ち合わせてるよね」と痛感しました。
何が一番怖いって・・・

人間が一番怖い(笑)

ラルーンドエスト